帰ってきて家に着いたら、今日一日押さえていたものが一気に込み上げてきて、
ブワッと泣いてしまった。
気が緩んだら、どんどん涙が溢れてきた。
みんなのブログやmixi日記を読んでたら余計に。
感傷的になりすぎだな。
僕はずっと、「自分は“選手”よりも“ガンバ大阪”というクラブを愛してるんだ」と思ってきた。
そして実際その通りに、どんなに選手が入れ替わろうと、その気持ちがブレることはなかった。
永島が出て行ったって、
礒貝が移籍したって、
エムボマがイタリアに移籍したって
稲本がアーセナルに行ったって、、
新井場がいなくなったって、
木場が移籍したって、
大黒がフランスに旅立ったって、
アラウージョがブラジルに帰ったって、
フェルの移籍が決まったって、
毎回それは寂しくはあったけれども、「まぁしょうがないよね。」という気持ちだった。
「自分は冷たいのかな?」と思うときもあった。
(唯一、松波の“引退”だけが例外。)
だから宮本のこの移籍に関するニュースを初めて聞いたときも、
ああ今度こそ行くだろうな、と思いつつ
「まぁしょうがないよね。行ってらっしゃい。」という気持ちだった。
今日までは。
「宮本を応援してる」なんていう積極的な気持ちには一度としてなったことはない。
そう自覚している。
でも、今この気持ち。
自分でも気付かないうちに、宮本は特別な存在になっていたんだなと改めて思った。
*
初めて宮本を知ったのはいつだったろうか。
以前にも書いたかもしれないけど、スポーツ新聞の片隅に、
アンダー世代の代表メンバーが小さく載っており、
その中に「宮本恒靖(G大阪ユース)」と書いてあったのを見て、
とても誇らしく思ったのが、一番古い記憶。
93年?
「あぁ、世代別の代表に選ばれるほどの、この選手が成長してトップで活躍するようになったら、
今は弱いガンバも優勝争いできるようになるかなぁ…。」
と、そのとき思ったものでした。
彼は僕らの希望だった。
その後、彼は見事トップ昇格を果たし、コンスタントに試合に出場するようになる。
そして稲本潤一がJ最年少の記録を作り、小島宏美が活躍し、
都築龍太が岡中から正GKの座を奪い、二川孝広がデビューした。
僕は、このまま行けば必ずやガンバ大阪は黄金時代を迎えると信じて疑わなかった。
そしてその中心にはいつも宮本恒靖がいた。
気にはせずとも、いつもそこにいた。
あれからアントネッティが去り、早野が監督に就任し、
竹本コーチが臨時で監督を務め、西野さんがやって来た。
思ってたよりずっと時間はかかったけれど、ガンバ大阪はやっと「強い」と自慢できるチームになった。
宮本がガンバに入って15年。
トップにデビューして12年。
長かったな。
僕らは、宮本が努力の人であることを知っている。
背が高いわけでもない。
対人に強いわけでもない。
キックが上手かったわけでもない。
そんなディフェンダーが、あれほども素晴らしいフィードができるようになり、
クレバーな守備と統率力で、W杯にも日本代表として2回も出場した。
僕らガンバサポの自慢の選手だ。
たまにポカもするけどね。
そして今、宮本は自分の夢を叶えるべく海外へと旅立つ。
頑張って来て欲しい。
持ち前の努力でもってヨーロッパでも活躍して欲しい。
もう帰る場所はないぐらいの気持ちで。
僕はずっと忘れない。
ゴールを決め、胸のエンブレムを握りしめる宮本の姿を。
どんなに痛い敗戦の後でも、くっきりとした口調でインタビューに答える宮本を。
失点しても、すぐさま仲間を奮い立たせる宮本を。
優勝の瞬間の、その涙を。
次、ガンバに帰ってきたら「じょーーずーーー」と言ってた恒凛クンは、
もうちょっと大きくなってるかな。