2007年03月24日

「太陽の塔」。

そのタイトルだけで、買おうと決めた1冊。


太陽の塔


その最初の書き出しから引き込まれる。

『何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
 なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。』



なんだその自分勝手な考え方w

描かれるのは京大を休学中の主人公の私・森本の日常。
その日常は、かつて付き合ってい元カノ“水尾さん”の観察に費やされる。
その名も「水尾さん研究」。
決してストーカー行為ではないのだそうだw

主人公が自ら独白する日々の描写が、妄想や自己正当化に溢れ、非常に面白い。
というか笑えるw
「小説」を読んで、声を出して笑ったというのは初めてかも知れない。


“クリスマスファシズム”に異を唱え、
鴨川に等間隔に並ぶ男女に不快感を示した上、
強引に男女男女男女男女男男男男男女男女男女男女にする「男汁」ども。

独特な文体だけど、妙に引き込まれます。
ある意味、美しいと言ってもいいかも知れないw


タイトルの「太陽の塔」とは…。
まぁ気になる方は読んでみて下さい。


で。
この小説の中で描かれる「太陽の塔」の描写が、
じつにグッときたので、少し長いが引用させてもらう。

太陽の塔には人間の手を思わせる余地がなかった。それは異次元宇宙の彼方から突如飛来し、ずうんと大地に降り立って動かなくなり、もう我々人類には手のほどこしようもなくなってしまったという雰囲気が漂っていた。

(中略)

 一度見れば、人々はその異様な大きさと形に圧倒される。あまりに滑らかに湾曲する体格、にゅうっと両側に突きだす溶けたような腕、天頂に輝く金色の顔、腹部にわだかまる灰色のふくれっ面、背面にある不気味で平面的な黒い顔、ことごとく我々の神経を掻き乱さぬものはない。何よりも、常軌を逸した呆れるばかりの大きさである。「なんじゃこりゃあ」と彼らは言うことであろう。しかし、それで満足して太陽の塔の前を立ち去り「あれは確かにヘンテコなものであった」と吹聴するのでは足りないのだ。「あれは一度見てみるべきだよ」なんぞと暢気に言っているようでは、全然、からっきし、足りない。
 もう一度、もう二度、もう三度、太陽の塔のもとへ立ち帰りたまえ。
 バスや電車で万博公園に近づくにつれて、何か言葉に尽くせぬ気配が迫ってくるだろう。「ああ、もうすぐ現れる」と思い、心の底で怖がっている自分に気付きはしまいか。そして視界に太陽の塔が現れた途端、自分がちっとも太陽の塔に慣れることができないことに気づくだろう。
「つねに新鮮だ」
 そんな優雅な言葉では足りない。つねに異様で、つねに怖ろしく、つねに偉大で、つねに何かがおかしい。何度も訪れるたびに、慣れるどころか、ますます怖くなる。太陽の塔が視界に入ってくるまで待つことが、たまらなく不安になる。その不安が裏切られることはない。いざ見れば、きっと前回より大きな違和感があなたを襲うからだ。太陽の塔は、見るたびに大きくなるだろう。決して小さくはならないのである。
 一度見てみるべきだとは言わない。何度でも訪れたまえ。そして、ふつふつと体内に湧き出してくる異次元宇宙の気配に震えたまえ。世人はすべからく偉大なる太陽の塔のまえに膝を屈し「なんじゃこりゃあ!」と何度でも何度でも心おきなく叫ぶべし。
異界への入り口はそこにある。


いささか大げさではあるけれども、
彼の塔を見るたびに、僕もまさにこういった感じはする。

あの塔は、異様だ。
慣れるということはない。

ガンバの試合があるたびに、太陽の塔を見られるのは幸せだ。



さて、この小説。
最後はどうなるのか。
ストーリーには特別なドラマは何もない。
水尾さんと寄りを戻すでもない。
淡々と日常が描かれるだけ。

だけど、読んだ後、なぜか爽やかな気分になりました。
オススメです。

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この記事へのコメント
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 「メ●ダ」

買いに行きます。
読みます。
Posted by tiu at 2007年03月24日 10:08
面白いっすよw
あまりに面白かったので、インスパイアされたネタをブログで書いちゃいましたw
Posted by シウヘイ at 2007年03月24日 22:11