■【杉山茂樹コラム】応援と観戦の乖離
「少なくとも、応援は世界に追いついた」との声に、僕はいささか抵抗を覚える。ACL(アジアチャンピオンズリーグ)を制し、クラブワールドカップに出場した浦和レッズのサポーターを、日本の各メディアはそう讃えたのだが、あのような応援スタイルが、世界のスタンダードではないことは、知っておいたほうがいい。
浦和のみならず、ゴール裏に陣取るJリーグの各クラブのサポーターは「見る」という行為が、いささか疎かになっている気がしてならない。常に声を張り上げ、身体を上下に揺らしていては、試合がよく見えるはずがない。
その圧倒的な風景に、違和感を感じている人が、次第次第に増えつつあることも事実なのである。そして、そちらの方こそ、世界に近い気が僕はする。嘘だと思うのなら、是非「世界」へ。スタンドの風景に驚き、カルチャーショックを受ける人は少なくないはず。まずなにより、ピッチの上にしっかりと目を凝らす。ワンプレイワンプレイにキチンと反応する。これこそが基本。応援の大前提だと僕は確信している。
まぁねー。
言わんとしてることはわかるよ。
僕も以前は「そっち側」の人間だったから。
そしてその考えに絶対の確信を持ってた。
あんなふうに応援してて試合の内容なんてわかるのか?と。
でも違うんだよなー。
杉山さんのいう「応援」というのはとても第三者的に思える。
それは目の前の試合から一歩引いたもので、
簡単に言うとその立場はとても消費者的だ。
料理店の味を評価する人間のようでもある。
あるいはその視点は客観的にプレーを採点をする記者そのものだ。
いずれにしても、それは応援ではない。
それはあくまで観戦だ。
応援とは、もっと選手にとって力になるものであるべきだ。
そして応援と観戦は乖離して当然のものだ。
過去にも彼はこう言っている。
応援とは何か。僕は、プレーをちゃんと見てやることが基本だと思う。目を皿のようにカッと見開き、鋭い視線をピッチに投げかける。選手との間に緊張関係を構築させることが先決だ。
[カンポをめぐる狂想曲] From:さいたま「応援とは何か」
「鋭い視線をピッチに投げかけ」れば、確かに選手はプレッシャーを感じるだろう。
それによってよりレベルの高いプレーをするようになり、結果、チームは強くなるのかも知れない。
でもそれはゴール裏のサポが求めているものではないと思う。
僕らはそういうことを求めてゴール裏から声を出しているのではないのだ。
チームに送るのは、プレッシャーであり、愛であり、叱咤である。
そこのところが杉山さんや金子さんは分かってない。
まぁ分かるつもりもないんだろうけれど。
人間は誰しも、自分の信じるものが至上だと思うものだろうから。
こういうのはどこまで行ってもわかりあえないのかなぁと思う。
Jヲタと海外厨が理解しあえないように。
しかし、こういうことを名のあるライターに大っぴらに言われると困るよねー。
何を言っても声の大きさで負けるわけだし。
もうちょっとJリーグのサポ側の人で反論してくれる人はいないものかねぇ。